2002年、学級だより

『トイ・ストーリー5』と、「デジタル」の肩書きを名乗ること

僕らはがっちりとトイ・ストーリー世代だ生まれてからもちろんトイ・ストーリーカーズウォーリーなどこども時代の娯楽をピクサー作品で過ごしたもちろん実家で使っていた枕カバーも毛布も「バズライトイヤー」だった実家に帰ると今でもほぼ新品の枕カバーがあり驚愕したまだしまむらで売っているのだ

そんな僕らのこども時代に影響を与え続けてきたトイ・ストーリーの「5」が出るぞ!ということでここ数日はDisney+を契約し1→4まで全部駆け足で見た先に言っておくと僕は何事にも影響されやすい!

トイ・ストーリー5は「デジタルデバイス」がテーマになっているこどもたちはタブレットに夢中で大人も真っ暗闇の中で画面に夢中になっているその中でおもちゃはこどもにとって何なのかあそぶということを改めて問われていたデジタルを完全に否定する物語ではなく画面にあずけた身体や想像力他者との関わり方をどう取り戻すかを一緒に考えるものがたりだった

これを見て思ったのは「デジタルプロダクトデザイナー」という肩書きで仕事をしていることがもう時代遅れかもしれないということ少なくともいま世間一般に「デジタルプロダクトデザイン」と呼ばれている仕事の延長線上に僕らが昔感じていた「未来」の原型はないように思えた

劇中には「リリーパッド」というiPadにSNSとゲームを合わせたみたいなデバイス/プラットフォームが出てくるこどもたちは直接言葉を交わすのではなくてリリーパッド上で友達を増やしていく僕らがInstagramで同じ学校の3文字をプロフに書いている人を入学前に次々フォローしていくようにそうして繋がった友達とゲーム上で昼夜問わず「コミュニケーション」している

少なくとも滞在時間や継続率を成功指標にする多くのtoCプロダクトは人をもっと長く画面にとどめプラットフォームへの依存を強める方向に進んできている僕自身もその仕組みの外にいたとは言えない子供たちは外で遊ばなくなってせっかく集まってもそれぞれの画面に向き合っていたりするそれが悪いことだとは言っていないただ確実にこれは起こっている

デジタル/インターネットの世界はあそぶことや会話を身体や場所から切り離して扱えるようにしたその恩恵はとっても大きい僕はそれに何度も救われているその一方でその切り離しを前提にするほど同じ時間を身体を伴って過ごす豊かさを見落としやすくなっているかもしれない。 友達と遊ぶこともデータの中の描画で代替できるし会話も場所性を伴わなくてもできる抽象化されたおかげで僕らは途方もない量の情報を扱えるようになったでも本当に裕福だった時間は身体を伴っていたんじゃないか

僕らは裕福だった理想の「未来」を失わせることに加担しているのではないか僕の世代はデジタルデバイスの発展とともに幼少期を過ごしそれらに未来を感じていたのも事実でその未来に近づきたくてこの業界に入っただけどこの先に本当に未来はあるんだろうか?ピクサーにさえ言及されるこの未来に

改めてデジタルとの関係性を問い直すタイミングが来ている

身体を世界に繋ぎ直す「不便さ」

iPodや古いデジカメDVDなどが若い世代のあいだでふたたび話題になっているおもしろいのはそれらが「アナログ」と呼ばれていることどれも実際にはデジタル機器なのに通知もフィードもなくできることに終わりがあるその狭さが僕らにとっては改めて新鮮に見えている

『The Atlantic』の「The Newest Way to Go Analog」こうした新しいアナログ回帰を紹介している記事に登場する29歳の女性はSpotifyを開くたびほかに聴ける何百万もの曲が気になって選べなくなり8GBのiPod nanoを買ったそこではiTunesで自分で入れた曲しか聴けないiPodの開発を率いたトニー・ファデルは当時のテクノロジーを「便利だけど接続されていなかった」と振り返る便利さと常時接続がまだ別々のものだった時代だ

この話はトイ・ストーリー5を考えるうえでもおもしろいそもそもアナログかデジタルかではないのかも古いiPodもデジタルだけど何を聴くかの境界線は自分で決められる一方ですべてをしてくれるデバイスでは選択肢も次に見るものもプラットフォーム側が用意してくれる違うのは僕らが何に注意を向けるかその境界線を誰が引いているか

詩人で批評家のハニフ・アブドゥラキブは『The New Yorker』の「Our Longing for Inconvenience」不便への憧れについてもう少し身体的なところから考えている寒い朝にベッドを出て友人の引っ越しを手伝うことラジオから好きな曲をカセットへ録音するために待つこと食料品を配達してもらわず自分で店へ行くことどれも効率は悪いけれどそのひとつひとつの手間のなかで出来事が記憶になり他者の人生に参加して同じ世界にいることを思い出す

この記事が素敵なのは昔の道具へ戻ろうと単純には言わないところ僕らの身体はもう古い機械が要求した細かな面倒に耐えられなくなっているとも言っているそれでも古いものに惹かれるのはWalkmanやVHSそのものが欲しいからではなく待つことや探すこと誰かのために身体を動かすことがまだ生活のなかに残っていた時間へ触れたいからなのかもしれない

2つの記事を読んでいるといま起きているのは過去への回帰というより「何に目を向けるか思いを向けるかを自分で選び直そうとする動き」に思うiPodに入れた曲だけを聴くTSUTAYAにCDを借りに行く決まった時間に誰かと同じテレビを見る物質的時間的社会的な境界をあえて作ることで無限のフィードへ溶けていた注意を物や時間や他者へもう一度結び直している僕が感じた違和感もデジタル世界を作ることではなく「人が何に目を向けるか思いを向けるか」の主導権を自分たちで持ちたいということなのかもしれない

もちろんすべての不便が良いわけではないと思うただアクセスを妨げる手続きやただ人を疲れさせるだけの時代遅れで人間的じゃない仕組みはいらないあってほしいのは自分で選べていつでも外せてその先に記憶や関係や判断が生まれるちょっと素敵な残しておきたい摩擦なのかも僕がこれから向き合うべきなのはどうすればすべての摩擦を消せるかではなくどれを消しどれを残せるかそれらの取捨選択をデザイン上でどう行うかだと思った

考えてみればおもちゃはずっとそういう不便なものだったおもちゃのウッディは自分から物語を生み出してはくれない手で動かし声をあて想像をしなければ遊びは始まらないでもその手間があるからこどもだった僕らはコンテンツの受け手ではなく世界の参加者になれたのかもしれない

これからのデジタルとAI

この「どの摩擦を消しどの摩擦を残せるか」という問いはいまもっとも強力な摩擦除去の道具になりつつあるAIにもそのまま返ってくる僕はAIをさらに画面へとつなぎ止めるだけではなく身体のある生活に戻るために使いたい

AIは僕の代わりに生活する存在ではなく僕が自分の生活に戻るためのデジタルとの境界面のインターフェースであってほしい本当はやる必要のなかったデジタルの雑事を全部任せてしまうための存在として抽象化の力を手に入れた僕らがこれからどういう方向で未来を作っていくべきか改めて考えていきたい

その小さな実験としてここ1ヶ月ぐらい「Hermes Agent」を使い始めているおもしろいことにAIに任せることを増やしていくほど僕がデスクやスクリーンに向かっている時間は減ってきたそこには対立を煽るような政治の投稿も次の行動へ焦る気持ちを掻き立てるレコメンドもない便利さをさらに深く常時接続するためではなく画面の前から離れるために使うサービス側のKPIに付き合い続けないために使うプライベートで静かな手触りのある小さなデジタル世界ができつつあるこれもどこかで紹介したい

僕が「デジタルプロダクトデザイナー」という肩書から離れたいと感じたのはデジタルがきらいになったからではない作りたいものの中心を生活と捉え直したからだと思う画面もAIも手で触れるおもちゃも生活するための素材として扱いたい道具とおもちゃを作りながらその実践に合う名前を探していきたい無限の彼方へ!