2002年、学級だより

普通の家に住みたい

ここ数年ずっと家を探している

大学入学のために上京して初めて住んだワンルームここにずっと住んでいるだけどもう何年も引っ越そう引っ越そうとしている本当にただ普通の家に住みたいだけなのにその「普通の家」が見つからない

僕の言う「普通の家」はたとえばこういう家だまな板が置けるキッチンウォシュレットのある綺麗な水回り書斎にできるスペースとそれぞれの部屋ちゃんとした収納窓を開けたら隣のビルの壁じゃなくて空と雲の関係性が見える「家」ってそういうものだと思っていた

だけどSUUMOに出てくるのは25㎡のワンルームか家賃30万を超える35㎡の1LDKか築50年の木造アパートかなぜかキッチンだけ真っ赤に装飾された部屋たちだどう撮ったらこんなにガビガビになるのかわからない住居写真と住む人のことを考えてなさそうな空間に誰が住むのか分からない金額がついてそれがどんどん吊り上がっていくかといって条件を広げても今度はそもそも物件がない

不動産屋さんに聞くと上がり続ける家賃のせいで大抵の人は引っ越しを控えているし中東の戦争の影響で塗料やシンナーがないから満足に修繕も清掃もできないのだという痺れを切らした大家たちは手を入れないまま物件を出しているとももはや良い部屋は市場に出てくることすらない不動産屋さんももうお手上げだという

会社に通いやすそうな町を休日のたびに探りに探り歩いた不動産屋にもいくつも通った条件に当てはまる部屋が出てくることはあるにはあったでもずっと納得できなかったそうやって2年が経った

先週の金曜物件サイトで一軒の家を見つけた駅から徒歩12分だが新築無垢材の床3LDK70㎡リビングがあって上にのぼるほど光が増えていく間取り家賃は20万ちょっと2年間見てきた中で一番よかった何より「納得感」があった家賃20万は自分には出せない金額だと思っていたけれど理想の暮らしのためならと2人で腹を決めた

その日の午前中のうちに内見の予約を入れて翌朝9時半には家の内見をした実際に見てその場で申し込んだ我ながら手際がよかったと思うそして昼過ぎに電話が鳴った不動産屋さんからだったタッチの差で一足先に別の申し込みが入っていた

負けた

その日の日記に「片思いして失恋したくらいのダメージ」と書いた大げさに聞こえるかもしれないけどこれは本当に失恋だった片思いをして思い切って勇気を出して自分の全部で告白したら思いっきりビンタをされた数日経った今もまだダメージが抜けていない

なんでこんなに凹んでいるのかずっと考えていた

たぶん失ったのは物件じゃない内見のたった30分のあいだに僕はもうあの家に住み始めていた朝日を浴びて目覚める朝引っ越したらすぐ買うつもりの「HAYの丸テーブル」を囲むご飯どき書斎で快適にものづくりに勤しむ休日家の前には厄払いの地蔵と神社があって内見のあと七夕を前に「素敵なお家で楽しく暮らせますように」と短冊まで結んだあの家はそこに住んでいるはずだった自分たちの姿ごと他人のものになっただからこれは失恋で合っていると思う

そういえば僕は内見の時に何度も「実家の感じがする」と呟いていた僕が家に抱えている「暮らしの想像」の出どころを辿っていくと自分の実家に行き着くと気づいた

僕の実家は富山の田舎にある僕が幼稚園の頃に建った家でまな板を置く場所に困ったことなんてなかったし風呂とトイレは当然別々で窓の外にはいつも空があって庭も畑もあったそしてそれがあの場所では普通だった小学校の頃友達が遊びに来ても「まあいいよね」くらいの反応だった誰もあれを理想とは呼ばなかった

つまり僕の言う「普通」は理想でも幻でもないはず一度ちゃんと住んだことのある現実だったただあの生活のレベルを今の東京で実現しようとすると途方もない努力とお金と時間が必要になる自分にできる精一杯の努力はしてきたと思うそれでも到底届きそうにないそしてこうしているあいだにも家賃は上がり続けているこれはたぶん僕ひとりの問題じゃないと信じたい

正直に書くとこの住まいを取り巻く全てに本当に少し大きくイラついている家賃が迷っているあいだにも上がっていくことに努力とお金と手に入る毎日の暮らしがまるで釣り合っていないと思えてしまうことに

先日初めてお金のことをファイナンシャルプランナーに相談したこの話をしたら「もう中古物件でいいのがあったら買っちゃった方がいいですよ」と言われた家探しの地図は賃貸の一本道から広がろうとしているというよりもう賃貸には選択肢がないことを知ってしまったその一方で今の家にはもうすっかりテンションが上がらなくなってしまった5年住んだ愛着よりも引っ越したいという執着のほうが本当にある

それでもまだ探している

もうすぐ七夕が来る神社で短冊を結んだときすぐ上に別のカップルの2組の短冊があった「住居問題を解決できますように」同じ街の知らない誰かがまったく同じことを願っていた僕ひとりの問題じゃないと信じたいなんて書いたけれど信じるまでもなかったのかもしれない

僕の願いごとはあの日から変わっていないほんとうに普通の家に住みたい